ふたりからひとり・・つばた夫妻のその後
映画「人生フルーツ」の終盤に夫のつばたしゅういちさんが眠るように他界された様子をカメラが映していた。
本当にちょっと横になって休んでいるという風なきれいな元気そうなお顔でした。最期まで、その日まで普通に生活されていての最期の方は、顔がやつれていないので、眠っているように見えますね。
病気で何年もベッドでの生活をされた方のお顔と随分違います。私は、老人ホームに勤務が長かったので、随分といろんな方とのお別れがありました。
老人ホームの状況について
いまから30年前の老人ホームは、措置の時代といわれていて、行政が直接に入所の方の対応があり、そのあとに老人ホームに入る仕組みでした。
今は、2000年(平成12年)4月から、介護保険制度が開始されて、直接、施設を運営する事業者との契約になります。
介護保険が始まるまでは、元気なお年寄りのかたが多く、いわゆる経済的に恵まれなかったり、最期に面倒をみてくれる方がいなかったりするかたが主でした。
そういう風に元気な方が多かったので、いろんなお話しもできるし、いろんな行事もたくさん行われていて、その施設に65歳くらいから20年以上生活される人も多く、職員は家族みたいな感じで、病気になったときは、とても心配するし、他界されたときは、大泣きをしていました。
その当時の日本は、(平成元年位)親を老人ホームにいれるのは、親不孝者だと言われるとかの時代だったので、老人ホームに親が入っているのを内緒にしていたりしている家族もおられました。
葬式も自宅が多かったので、参列していいものかどうか(近所に内緒のことも多かった)伺いをたてて、参列することもありました。まだ明治生まれの方も結構おられました。
その中でも本当にシャキッとして凛としたおじいさんやおばあさんがおられて、明治の方は本当に1本筋がとおっておられるという印象でした。80歳こえても針で、繕い物をされるかたもおられました。太陽に向かって毎朝パンパンと手をあわせて拝んでおられました。
今は、介護保険制度になり、数年前からは、特に身体の弱った方が入所されるので、まるで病院の患者さんのような状態の方が、ほとんどになりました。前はあまり認知症のかたがおられませんでした。
介護保険の始まったくらいから、そういう病気のかたが、増えてきたのかなという感じですね。食べ物とか生活様式が車中心で、大方サラリーマンの生活で核家族でといったことが、何か原因の一つにあるのかもしれません。
もちろん寿命が伸びたのもあるかもしれません。
自然や畑作業
つばた夫妻は、定年後に畑を耕したり、なるべく手作りのものにこだわって、自分たちの生活を体を動かしながら、楽しんでおられたのが、とても良かったのではないかと思います。
たくさんの種類の果物もジャムにされたり、いろんな料理にされてお子さんや知り合いに季節ごとに送られています。
また夫のしゅういちさんは、整理整頓がとても好きで、とにかく字を毎日書いては、きちんとファイルになんでもされる方だったらしいので、頭も使われるし理想的に暮らしておられた様子でした。
急におられなくなって、しばらくは英子さんもとまどいながら、暮らされておられ、今はそれなりにお一人のペースで生活されておられる様子で安心いたしました。
娘さんやお孫さんが頻繁に家に来られたり、電話をかけたりしながら忙しく体を動かされている様子です。一人になったような気がしない。ともいわれています。
忙しくしていないと思い出して辛くなるので、動くようにしていますとも書かれてありました。いつまでも元気で暮らしていただきたいと願っています。
最期に
なんだかどうしておられるのか気になっていたので、本が出ていたので購入しました。お二人のいままでの生活の様子も書かれてあって、とても含蓄の深い言葉もたくさん出てきます。
尊敬されるお二人のような生活ができたら、素晴らしいなと思います。
追記 H31年4月19日 人生を楽しもう
小さいことに落ち込んでいるなんてもったいないよね。せっかく生きてるんだから、毎日有意義にすごそうね。
あーおもしろかったっていわなくちゃね。 pic.twitter.com/3L1CDks3tw
— 南町みき子 (@minamimatimiki5) April 19, 2019
大好きな方がお亡くなりになるといつも人生の無常を感じます。1度しかない人生を自分の希望の生活ができると良いなと思います。